7日付けの産経ニュースの記事から
日弁連が謝罪…瀬戸内さん「殺したがるばかども」発言で 「被害者への配慮なかった」 |
2016.10.7 17:34 |
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(94)が、日本弁護士連合会のシンポジウムに寄せたビデオメッセージで死刑制度を批判し、「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言したことについて、日弁連は7日、福井市内で開いた人権擁護大会の中で「犯罪被害者への配慮がなかったことは、おわび申し上げる」と謝罪した。
大会では、死刑制度に関する前日のシンポジウムの担当者だった加毛修弁護士が、瀬戸内さんのメッセージについて説明。発言の意図について「死刑制度を含む国家の殺人のことであり、犯罪被害者へ向けられたものではないと考えている」と釈明したうえで、「『ばかども』という表現は確かに強いと感じたが、瀬戸内さんの思い切りよい持ち味でもあり、そのまま使うことになった」と話した。
瀬戸内さんのメッセージが流された当時、会場には全国犯罪被害者の会(あすの会)のメンバーや支援する弁護士らもおり、「被害者の気持ちを踏みにじる言葉だ」と反発が出ていた。 |
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、
袈裟を纏ったところで所詮性根が腐りきったクズブタは何処まで行っても醜いクズブタのままってことがよくわかる発言です。
しかも、謝罪をしたのは日弁連で、シンポジウムの担当弁護士が勝手にクズブタの考えを忖度した言い訳を披瀝しただけという始末。
ま、こんな生臭のクズなんぞ、名乗って赦されるのは同類の人に害を為す蟹坊主の名ってところでしょう。
※日本には各地に大蟹が悪事を働く説話が残っているが、その中には袈裟を着て僧侶に化け、人を殺す化け蟹の話もある
というか、国家の殺人の事とかって言い訳、必死に考えたつもりなんでしょうが、幾らなんでも通じるかってーの。
死刑適用が検討されるような犯罪者はどんな輩か、といえば、
それは私欲で他人を殺害した凶悪殺人犯だけです。
つまり、本来ならば
「殺したがるばかども」という表現は死刑の適用を検討されるような加害者側のことでなければならないわけです。
でもクズブタが言っているのはそういう生きている価値すらないゴミのような殺人犯ではなく、その死を望む側のことであり、
当然ながらそれを最も強く望むのは大切な人を殺された遺族側であって、国家と言うシステムではない。
だからどう言い訳をしようと試みたところでそんなものは無意味であり、他人を欲望のままに殺した事を赦されるべきだと是とし、逆にそのような取り返しの付かない過ちを犯した輩を裁く事を非とするのみならず、そこに罵声まで浴びせたこのクズブタに弁解の余地など微塵も無いってことです。
まぁ、自らも性欲だの金欲だのと欲望のまま醜悪極まりない人生を経て、子まで欲望のために捨てたその下劣な生涯を誤魔化す為にシスターになろうとし、それを教会に拒絶されるや尼になる道を代替で選ぶなんて恥しかない人生を生きてきたから、
どうようの生きている価値が無いクズほど愛おしくてしょうがないのでしょう。
でもなきゃ、被害者が殺したいほど憎いという激しい怒りや憎しみを抱いている事に対して、
「ばかども」などと信条を逆なでするだけの悪意しかない罵声を吐くなんて出来るわけがありません。
普通の人間だってそんなことを言うのは常識的に無理だし、良識として絶対に言ってはいけないって事くらいは判断が付くわけですから、それを仏門に入って何十年なんてのがするなんて、異常としか評しようがないじゃないですか。
仏の道を学び、他者にそれを教え広める僧侶として何十年も生きた結果がこのような下劣極まりない破戒僧の姿だというのですから、
まさに人の道を外れた外道の暴言であり、仏をも冒涜する所業と言えるでしょう。
そも、
仏教においては死後にその罪を地獄で償わされるから、そうならないように清貧に生きることを求められるのであり、地獄に堕ちた場合はその堕ちた地獄の種類で詳細は違えども、基本的には永劫とも呼べるような時間の中で何度も殺されて、生き返らされてを繰り返し苦しみ続けるというものです。
でも、科学の発達した近代国家がそんな死後の世界なんてものに頼って国家運営は出来ませんし、日本は何より政教分離を明言している法治国家ですから、罪を裁き、罰を与えるのは国家でなくてはなりませんってだけの話で、こんな品性の欠片もないクズブタが口を挟むようなことではありません。
何より、死後の世界で幾度も殺す地獄なんて概念を持つ仏教徒が「殺したがるばかども」なんて、自分達の教義を棚に上げて何寝言をほざいているんだって、嘲笑いたくなりますよねぇ?
これまた昔からバカにつける薬は無いといいますけど、ホントに
この手のブサヨって、知能というものを何処に忘れて生まれてきたのやら?
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