徒然な日々に

その日の個人的出来事や、見たニュース、記事から思った事、感じた事を徒然と…
11月17日(月)

愚かなヒトモドキ、捏造を更に捏造してまた蒙昧を晒す 

15日付けの朝鮮日報の記事から

笑顔なき中・日会談直後、中国の学校で「南京大虐殺」授業

今年から初めて国の公式追悼日に
小中高で日本の蛮行を教える…次世代に徹底した歴史教育
2014/11/15 11:15
 中国の習近平国家主席は冷ややかな態度で安倍晋三首相との初の中・日首脳会談に臨んだが、その後の13日から中国の中学校では「南京大虐殺被害者追悼のための教科書」による授業が始まった。両国の歴史問題を次世代に引き継がせ、長期戦に持ち込むという意図だ。

 中国は今年初めて国の記念日となった「南京大虐殺追悼日」(12月13日)を前に、日本が南京で行った残虐行為を記録した小中高校教科書を作成・配布した。小学校教材の名前は「血火記憶(血と火の記憶)」、中学校教材は「歴史真相(歴史の真相)」、高校教材は「警示思考(警告に対する考え)」だ。小学校では9月から授業に入っており、高校でも年末ごろには始まる予定だ。習近平主席が就任してからというもの、侵略の歴史を否定する日本を中国は攻撃しており、民族的自負心を高揚させるとして今年、「抗日戦争勝利記念日」(9月3日)と共に南京大虐殺追悼日を国の記念日にした。

 中国国営の新華社通信は14日「現在は南京のある江蘇省の中学校でだけ『歴史の真相』を学んでいるが、近く全国の中学校でこの教科書を使用する予定だ。南京防衛戦闘や戦後審判などの歴史を綿密に記録している」と報じた。中学校の教科書だが、日本軍が行った大虐殺・強姦(ごうかん)・放火などを写真と共に紹介しているという。南京外国語中学校のウィ・ウェイ主任は「生徒たちが衝撃を受けないように教科書の文章や写真や慎重に選んだ」と語った。

 中・日首脳会談は今月10日に2年半ぶりに行われたが、両国は歴史・領土問題をめぐり今も摩擦を起こしている。岸田文雄外相は13日、中・日首脳会談前に両国が合意した「関係改善の4項目の合意文書」について「法的拘束力はない」と述べた。このうち「釣魚島(日本名:尖閣諸島)に関しさまざまな見解が存在する」という文言についても「尖閣諸島に領土問題は存在しない」という従来の見解を繰り返した。これに対して中国外務省は「不満を表明する」としている。

■南京大虐殺

 日中戦争発生後、日本軍が1937年12月から翌年2月までの6週間にわたり、江蘇省南京で、中国軍捕虜や民間人など約30万人を銃殺・生き埋め・火をつけて殺害した事件。南京は近代まで世界最大の都市であり、当時は蒋介石の国民党政府の首都だったが、これにより焦土と化した。日本は中国軍の抵抗しようという意志をそぐため、民間人でも偽装した兵士と疑って襲ったといわれている。終戦後、日本軍の責任者2人が死刑されたが、日本では南京大虐殺を公式の場で否定している。

北京= アン・ヨンヒョン特派員

 20万人しかいなかった上、1ヵ月後には25万人に人口が増え、しかも多くの市民と触れ合う兵士の写真が残っているのに、虐殺をしました放火をしましたとかほざかれて、誰がはい、そうですやりましたなんて言うのかと。

 しかも流石はチョウセンヒトモドキ、「これにより焦土と化した」なんて更にデマを付け加えて一層の深刻な話にしたつもりなのでしょうが、実際には安全区の設定は欧米の外国人が行い、人数の管理なども彼らが南京市内でやっていたことを知りもしないで誇張するから、トンデモな話が一層酷くなりましたね。

 テントすら当時は無いのに、真冬の南京で焼け野原ので20万人以上の中国人や欧米の人間が生活をし続けられたとでも言うつもりかって話ですし、加えて同地では皇族による入場式の写真があったのに、まさか焦土でやった、そのまま焦土に駐屯したとでもほざくつもりかよと。

 アサヒグラフに掲載されたとても有名な写真で、焦土のはずが電線網も街路樹も綺麗に残っており、門から離れた建物はキチンと外観を保っている姿が写っているのですが、コレ、撮影日時は1938年1月5日であり、連中が言うところの大虐殺6週間の丁度真ん中に当る最も激しいはずの時期の写真なんですよねぇ。

 現在では古本として出回っている『アサヒグラフにみる昭和の世相-4(昭和12年-16年)』にでっかく載っています。

 因みに余談ですが、バカヒ出版の同書、昭和50年(1975年)というブサヨ全盛時代の発行である為、南京虐殺事件が起きたと記しており、それを事実化するために数多の真実を写した写真を保有しているにも関わらず、南京市に関して掲載したのは「南京城中山門に翻る感激の日章旗」(1937年12月29日)と「南京入場式の壮観」というたったの2枚だけです。

 タイトルにもあるように、アサヒグラフの写真だけで朝日新聞の写真は除外対象ですので数は減りますが、それでも同書には疫病の蔓延を防止する為に日本兵が南京市内の子ども達の検診をしている写真や市内風景の写真などが掲載されており、6週間で20万人、つまり1日平均5000人程度は殺され続けている状況では有り得ない証拠写真が幾つもあるのに、現在(書籍作成当時)の朝日の主張においてそれら真実は都合が悪いからと隠匿されたわけです。

 また、「民間人でも偽装した兵士と疑って襲ったといわれている」ともありますが、元々兵士の錬度・士気において圧倒的に劣るのが中国軍であり、それを補う術として撤退しようとする味方を後ろから撃って前線に留まらせる督戦隊を配置したり、国際法違反の民間人を装って奇襲を仕掛ける便衣兵がいたのであり、ソレに対する検挙は当然のことに過ぎません。

 何せ1932年にあった第一次上海事変の時の朝日新聞(昭和7年1月29日【号外】)にはこうあります。

 「【上海特派員二十八日發】我陸戦隊は午後十一時十五分頃より一せいに出動、装甲自動車は走り回る便衣隊と各所で衝突市街戦を演じつつあり、銃聲物すごく死の街にとどろき渡つてゐる」

 旧字にできないところはそのままにしちゃいましたが、このように、7年前の時点で既に中国兵は便衣兵として市外に紛れ込んでの銃撃戦を当たり前にやっていたわけであり、ましてや南京城では城壁を攻略した部隊が市民を襲って衣服を強奪し、市内へ逃げ込む国民党軍の敗残兵を目撃しているわけですから、市内で便衣兵狩りを行わないわけがない。

 当時の写真には市民との触れ合いや市民の満面の笑顔を写したものだけでなく、捕虜となった国民党軍兵士に対して治療をしている写真や食事を与えている写真などもあり、日に5000人平均も殺さねばならない状況であったならそんな無駄な事をしているわけがないことも分かるでしょう。

 実際、先程取り上げた『アサヒグラフにみる昭和の世相-4(昭和12年-16年)』においても数ページ前には「微笑む戦後の街」と題して北京などで子ども達の笑顔の写真や市民に混じって非武装で買い物をする兵士の写真、子どもや母親らと笑顔で写真を撮る日本兵達の写真などが幾つも掲載されており、占領地における日本兵の規律が保たれていたことを如実に物語っています。

 所詮は浅はかな捏造で己の欲が満たせると考える浅薄な連中の戯言であり、真実の前では全く無意味&無価値ということは現在の朝日の崩壊が物語っていますよね。
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