徒然な日々に

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04月16日(火)

硬直した人事体系 

1日付けの朝日新聞デジタルの記事から

にじむ対米戦回避への心情 山本五十六、開戦前の書簡
2013年4月1日11時52分
 【岩崎生之助】太平洋戦争開戦から4カ月前の1941年8月、旧海軍の山本五十六(いそろく)連合艦隊司令長官が、戦争回避を望む心情をにじませた書簡を部下に送っていた。書簡は遺族が保管していたもので、開戦を望む勢力による人事介入への不快感も示されている。専門家は「軍政に対する山本の率直な考えがわかる貴重な史料だ」と評価している。

 書簡を受け取ったのは、福岡県高田町(現・みやま市)出身の伊藤整一海軍中将。41年8月、連合艦隊トップの山本を補佐する参謀長から、海軍全体の作戦を担う軍令部の次長に異動。しかし、就任は1カ月遅れの9月になった。

 山本は対米戦争に否定的な考えを持っており、開戦を主張する軍内部の強硬派が、山本の腹心の要職就任に反対したとみられている。山本は書簡で「転出延期等不明朗なる上級人事を見過(みすごす)に、不快に存(ぞんじ)居(おり)候処(ところ)、九月一日御交代の旨(むね)承知、安心仕(つかまつり)候」と記した。

 また、及川古志郎(こしろう)海軍大臣、永野修身(おさみ)軍令部総長の最高幹部2人について「各々(おのおの(輔弼(ほひつ)輔翼の全責任を充分(じゅうぶん)に担当せるゝ丈(だ)けの御用意と御決心とが絶対必要と存居候」とし、国家の重大局面で天皇を補佐する職責を果たしていないと暗に批判。一方、伊藤には「国家百年の大計に違算なき御進言ある事(こと)は全然信頼申上(もうしあ)げ(略)何分(なにぶん)宜敷(よろしく)御指導の程(ほど)願上候」と開戦阻止への期待を寄せている。

 真珠湾攻撃の立役者として軍神とまで崇められ、その死さえも元帥昇進と大規模な国葬という形で使われた悲劇の将、山本五十六。

 ですが、今回見つかった書簡からも分かるように元々彼は誰よりも対米戦争の回避を望んでいた人間であり、声高にそれを主張していたことから国士気取りの輩が押しかけるなんてことや、脅迫受けることも珍しくない状況から、GF(連合艦隊司令)長官就任も暗殺を危惧した米内光政が海へ逃がしたと言われています。

 自身は米国との開戦を否定し、平穏無事に任期を終えてモナコで博奕打ちとしての余生を送りたいと思っていたというのに、GF長官として戦争の口火を切らねばならなくなったのですから、何とも皮肉なものですよね。

 そして山本の望みが絶たれるだけでなく、海軍が戦略面・戦術面でも失態を重ねた原因が、この人事に関する問題なんですよねぇ…

 例えば最後の段落に名前の出てくる及川は、兎に角決断を他人に丸投げする輩で、米英の強硬姿勢を一層強めた原因である三国同盟も前任の吉田善吾が病気で辞任するまで頑張って反対姿勢を貫いていたのに、及川は就任するやあっさりと賛成してしまい、太平洋で開戦する2ヶ月前に陸軍大臣であった東条から対米戦について聞かれた時も自信がないと言いながら、総理大臣であった近衛にそれを伝えずに一任すると述べており、軍人にあるまじき決断力の無さと楽観論の持ち主であり、その職責に対する認識の希薄さを山本は危惧していたのでしょう。

 永野修身については後年の評価が芳しくなく、戦争を止めるための努力という点でその言動に歯痒い思いを山本は抱いていたのかもしれませんね。

 そして人事についてはそもそも山本自身、出世するほど海よりも陸での勤務の方が増えていき、佐官になって以降は軍政の方のウェートがドンドン増えていった人物なんですよね。

 他にもGF長官の女房役とも言える参謀長が航空機を予備戦力としか見ていなかった大艦巨砲主義の宇垣だったり、主力となる機動部隊の指揮官が航空戦に全く無知な水雷屋の南雲だったり…

 他にも第4艦隊司令長官に山本や伊藤同様に軍政側の井上が付いていたり。

 また、失敗から学ぶということを忌避するような面が当時の陸海軍には強く、それ故に敗戦や失敗の責任の所在が明らかにされないままになり、後に一層甚大な被害をもたらすこともありました

 海軍の将官としてその最も有名な代表格が先程も触れた南雲と、そして戦後の海軍将軍の中で最も最低の評価を得ることが多い、栗田です。

 南雲は真珠湾攻撃の際に戦果不十分であるにも関わらず逃げ帰った事と、セイロン沖海戦時の失敗を反省せずにミッドウェーで同じ失敗を繰り返した挙句、4隻もの主力空母を全滅させた男ですが、一応戦果がそれなりにあることと、最後はサイパンで玉砕したことからそこまで酷評されることは少ないのですが、不適格な人事であったことは紛れもない事実です。

 一方の栗田は最悪で、バタビア沖海戦での逃げ腰な戦闘と味方撃ちという最悪のヘマ、更にミッドウェーでは下手な艦隊指揮の結果敵前で味方同士の衝突事故を起こした上に、そのせいで速度の出せなくなった味方を見捨てて自分だけさっさと逃げ出しており、レイテ沖海戦の際にも多大な犠牲の末に漸く成功目前まで行った作戦を、艦隊に反転を命じて放棄して破綻てすべてを無駄にさせました。

 このように人事面での不適切な配置がなされていた上に、将来を嘱望されていた山本の同期である堀が南雲らの暗躍で予備役にされていたり、山口がミッドウェーであっさり死んでしまったり、小沢が戦力として活躍できなくなった頃の機動部隊で漸く指揮官になったりと、人材面での問題があの戦争においてはひどかったんですよね…

 片桐なども海軍人事の問題で能力を活かせずに埋もれてしまった指揮官ですね。

 ここら辺の人事の問題をどうにか出来ていたら、開戦の時期(元々アメリカがやる気なので、どんなに頑張っても回避は不可能だった)も、戦争の推移も、全く違ったものになっていたでしょうに、何ともなぁって思うんですよねぇ…
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