徒然な日々に

その日の個人的出来事や、見たニュース、記事から思った事、感じた事を徒然と…
05月08日(日)

決して責任を取らぬバ管 

7日付けのMSN産経ニュースの記事から

論説副委員長・高畑昭男 国民の心に響かぬ菅語録
2011.5.7 03:21
 昨年6月、米軍普天間飛行場移設問題で迷走に迷走を重ねた鳩山由紀夫首相(当時)に代わって菅直人氏が首相となったとき、多くの国民が「鳩山氏よりはずっとましだろう」と期待を寄せた。

 だが今や、期待はいずれ劣らぬ失望に変わった。東日本大震災や東京電力福島第1原発事故の対応で指導力を欠いているだけではない。失望させられる材料は震災前から数え切れないほどあった。

 昨年夏の参院選では「消費税引き上げ」を掲げたかにみえて、すぐに撤回した。昨年秋以降、重要な政治課題に浮上した環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加問題や、社会保障と税の一体改革でも、明確な方向を示さないままに決断を先送りしてきた。

 ◆見えない方向性

 その割に、菅氏がしばしば口にするのは、以下に挙げる例のように、「全力を尽くす」「死力を尽くす」といった表現だ。

 ▽「私を本部長に緊急対策本部を設置した。被害を最小限にするために政府として全力を尽くす」(大震災当日の記者会見)

 ▽「死力を尽くして大震災と原発事故に立ち向かい、日本をより良い社会に再生するために全力を尽くすと約束する」(4月12日、震災1カ月にちなんだ会見)

 ▽原発安定化の工程表について「全力を挙げて東電の作業に協力する」(同18日、参院予算委員会答弁)-。

 全力を尽くすことがいけないというのではない。問題は、力を尽くすことは「プロセス」(経過)であって、必ずしも「結果」そのものではないことだ。

 菅氏が約束していることをよく読むと、「原発の安定化」や「日本の再生」ではなく、全力を挙げるというプロセスにすぎない。

 ◆プロセスと結果の混同

 そうした「努力約束」型の表現は、そもそも内閣発足時からパターン化していたようにみえる。

 「沖縄の基地負担軽減に全力を挙げて取り組んでいく」(昨年6月8日、組閣時の会見)というのもそうだし、「拉致被害者の一刻も早い帰国を実現するために全力を尽くします」(今年1月24日、施政方針演説)というのも、本来なら「全力を挙げて基地負担を軽減させる」「帰国を実現させる」といえば、国民への明確な「結果の約束」といえるだろう。

 鳩山前政権の鬼門となった普天間問題でも、菅氏は昨年11月の日米首脳会談でオバマ米大統領に対して、「(普天間問題は)日米合意を基礎に沖縄県知事選後に最大の努力をしたい」と語った。これも、よく考えてみれば「最大の努力」を約束しただけだった。

 世の中には、「結果」でしか評価されない職業が少なくない。スポーツ選手、ビジネス経営者、そして政治指導者もそうだ。過酷なようだが、いくら努力を尽くし、刻苦勉励を重ねても、そうした徳が評価されるのは現役を退いて回顧録の世界に入ってからだ。

 現役ならまずは試合に勝ち、ビジネスを成功させ、政策を実現しなければ、誰もほめてくれない。「郵政民営化」を貫き、無謀ともいわれた解散総選挙に打って出た小泉純一郎元首相の例をみるまでもなく、結果を賭けて勝負してこそ国民は耳を傾けるものだ。

 ◆約束は「努力」だけ

 菅氏の場合は、具体的な結果よりも「努力する」という約束ばかり目立つために、国民の心に響くものに欠けるのではないか。

 先の施政方針演説では、「全力を…」が前後8回あった。最近の施政方針演説でみると、昨年1月の鳩山氏は1回、自民党政権時代の麻生太郎氏と小泉氏(2006年)はそれぞれ4回で、歴代首相と比べても多い。

 菅氏は同演説で、国づくりの理念として「平成の開国」「最小不幸社会の実現」「不条理をただす政治」を掲げた。しかし、いずれも難解な部分が多く、具体的でわかりやすい印象に乏しかった。

 加えて、「熟議の国会」を繰り返し、重要課題で自らの明確な方針は示さずに与野党協議に委ねようとする姿勢も感じられた。

 意図的にそうしていると勘繰っているわけではない。市民活動家出身とあって、何事にも「全力を尽くす」との信念が先に立つのかもしれないし、中には官僚の作文もあるのかもしれない。

 それでも、現役の指導者である以上、プロセスと結果は似て非なるものであるという認識は最低限必要だ。結果をしっかりと約束せずに努力の安売りで終わっていては、何を訴えても空回りをしているようにみられてしまうのではないだろうか。

 国民が首相に求めるものを自覚してほしい。めざす結果を明示した上で、全力を尽くす。それでも目標を実現できないとなったら、潔く次の人に道を譲る決断も必要だ。(たかはた あきお)

 一応産経新聞は最後の項で「市民活動家出身とあって、何事にも「全力を尽くす」との信念が先に立つのかもしれないし、中には官僚の作文もあるのかもしれない」と擁護する記述をしていますが、私はバ管に掛ける情けなんて持ち合わせていませんので、そこもバッサリと切り落とさせてもらいます。

1日付けのMSN産経ニュースの記事から

菅首相の「初めてだから」に自民「恥ずかしくないのか」
2011.5.1 19:22
 菅直人首相は1日の参院予算委員会で、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の政府対応に関する世論の評価が低いことについて「すべてが初めてなので完全とは言わないが、全力を挙げて対応してきた。初めてのことだから」と釈明した。

 これに対し、自民党の島尻安伊子氏は「首相はこれまで政治は結果責任だと言っていた。『初めて』と言うことは恥ずかしくないのか」と切り返した。

 島尻議員に言われているように、野党時代、政府与党に対して誰よりも苛烈に結果責任を追及してきたのがバ管でした。

 その最たる例が2003年1月23日の衆院予算委員会における小泉総理(当時)との舌戦でしょう。

 靖国神社への8月15日参拝、国債発行の30兆円枠抑制、ペイオフ解禁という3つの問題で、公約を達成できていないと執拗に追及して結果責任を喚き、辞任を要求しました。

 当時の小泉総理は靖国には8月15日ではないものの参拝をしていましたし、国債発行も2001年には達成しており、その後は経済情勢から数兆円の追加発行などで超えていたものの、抑制する努力は続けており、政権末期にも達成していましたし、ペイオフにしても不良債権の処理問題が長引いていた為であり、それを一切無視して現状達成できていないのだから駄目だと主張してきたのがバ管なのです。

 さてさて、産経がしたような擁護が、こんなクズ男に適用されるべきでしょうか?

 そも、民主党なんて国債発行額は30兆円以下にしなければ国が持たないと与党になる前日までずっと主張を続けており、この小泉政権時代なんて『平成13年度から平成15年度までの間の各年度における公債発行額の限度に関する法律案』などという馬鹿げた法案を丁度10年前の今頃の時期に出して、経済状況を一切考慮しないままに与党を攻撃する為だけの目的で法律で規制をしようと目論んでいたんですよ?

 で、自分達が政権与党となるや、民主党は国債を30兆円以下に抑制するどころか、その1.5倍もの国債発行を当たり前に毎年続けているんです。

 民主が与党になった当時は衆院のみならず参院でも過半数を達成しており、法案なんて簡単に通せたのに法律で自らの発行を縛るなんて事は当然ながら考えようともせず、全力だの死力だのどころか、そもそも連中が国のため、国民のために何の努力もしていないのがよく分かるでしょう。

 そして、民主党がアレほど大好きだった「責任」の言葉も政権与党になって以降は見事に消え去り、曖昧な表現に終始して絶対に責任を取ろうとしない。

 努力目標を掲示するだけですし、それとて明確な試算に基いたものではなく希望的楽観論どころか、下手をしたら妄想同然の思いつきで言ったりやるだけ

 問題が起きれば下っ端に責任を転嫁したり、開き直る、言い訳をするでやはり責任は取らない。

 特にバ管は学生時代、他人を煽るのと逃げ足が取り得だったというだけあり、何処までも最底辺なクズです。

 結局、普天間の移設も民主党政権が無駄に拗らせて複雑化させ続けた結果、期限内は無理だと諦めたみたいですし、何をやらせても有害なだけです。

 まぁそもそも、支持率1%になっても辞めないと、民主を謳いながら北朝鮮のような民主主義を無視した独裁政治を誓ってのけるんですから、何を言おうが、どれだけ支持率と言う形で国民の意思を示そうが無駄でしょうよ。

 独裁政党に権力を与えた時点で、この国は氷塊へまっしぐらのタイタニック号と同じ状態になったんです。

 民主党HP『「小泉さんも当然賛成?」~国債発行額を年30兆円以下に抑制する法案を提出』
 http://www.dpj.or.jp/news/?num=2259
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