徒然な日々に

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08月31日(火)

進歩の無い朝鮮 

30日付けの朝鮮日報の記事から

【コラム】旅順の203高地で見たもの
2010/08/30 11:34:18
 「韓国からのツアー客10人のうち5-6人は、ここは韓国と関係がある場所でもないのになんで連れてくるんだといいますよ」

 昨年11月、遼寧省旅順で日露戦争の激戦地、203高地を訪れた際、朝鮮族のガイドが漏らした言葉だ。

 旅順港を見下ろす203高地は、日本がロシアと韓半島(朝鮮半島)の支配権を争った日露戦争で最大の激戦地だ。1904年夏、乃木希典大将率いる日本の第三軍は、ロシア艦隊の本拠地だった旅順港を包囲。6万人近い戦死者を出した末、翌年の1905年1月にここを占領した。乃木大将の息子、乃木保典もこの戦いで戦死した。203高地の乃木保典が戦死した場所には記念碑が立っている。

 旅順に続き、現在の瀋陽で繰り広げられた奉天会戦、日本海海戦(韓国での呼称は対馬海戦)で勝利した日本は、同年9月5日に米ポーツマスで朝鮮を「指導、保護および管理する権利」をロシア政府から認められた。日本が韓国を植民地として併呑(へいどん)できるように許可証を与えた条約だった。それなのに、韓国人観光客は亡国という国恥につながった現場で関心を見せずに帰っていくという。

 韓国が100年前に国を失ったのは、日本の侵略のせいだった。しかし、1902年の日英同盟、1905年の桂・タフト協定、1907年のハーグ万国平和会議の現場を取材して感じたのは、韓日強制併合が日本だけの力ではなく、国際社会の了解によって成されたという事実だ。

 ポーツマス条約の仲裁に入ったセオドア・ルーズベルト米大統領は「韓国は極度に無気力で、最低限の抵抗に及ぶ能力もない。名ばかりの要塞(ようさい)、軍艦、軍隊を保有しているが、考慮する価値もない。韓国は攻撃を自ら招くことになる」と評した。1894年から97年にかけ、韓国を4回旅行した英国人イザベラ・ビショップは、当時の官僚階級を「国の財政を食い尽くし、わいろを受け取ること以外にやることがない」として、「寄生虫」呼ばわりした。平民階級の存在理由については、「吸血鬼に血を供給する役割だ」とまで語った。国際社会が日本の朝鮮支配に目をつぶった理由は、朝鮮自体の無能と腐敗によるところが大きかった。

 独立を維持する力を自ら整えることなく、列強に頼ろうとばかりしていた高宗(朝鮮第26代国王)の「権力バランス外交」もあざけりと不信を招いただけだった。英国人記者マッケンジーが日露戦争直前の1904年2月に高宗の側近、李容翊(イ・ヨンイク)を取材し、「韓国が自らを救うためには、改革が必要だ」と述べると、李は「韓国は安全だ。韓国の独立は米国と欧州によって保障されているからだ」と答えたという。東アジアが緊迫の度を増していた時代に国際秩序を誤って理解し、外部勢力に依存した代償として受け取った請求書は「亡国」だった。

 100年前のことを思い出したのは、今後の韓国の統一と発展が国際社会の理解と協力によってのみ可能だからだ。100年前に日本はそうした点で韓国をはるかに上回っていた。国際社会の信頼は容易には得られない。亡国の現場に来ても、ほかの場所に行って遊びたいと考えるような人間が国際社会の信頼を得ることは難しい。100年前にわれわれの祖先もそれで滅んだのだ。

 203高地、乃木大将、息子の死というと、やはり出てくるのは軍歌『水師営の会見』ですね。

 『水師営の会見』は乃木大将とロシア軍の旅順要塞指揮官ステッセル将軍による会見からその別れまでを歌にしたもので、途中ステッセル将軍に二子をこの方面の戦闘で亡くした(乃木勝典は金州南山で戦死)乃木大将の心情を問われ、「二人の我が子それぞれに死処を得たるを喜べり。これぞ武門の面目と大将答え、力あり」とあります

 乃木希典は後に明治天皇の崩御に際して妻と自刃という道を選んでおり、将軍としての能力は兎も角、武人としての生き様を生涯貫いた人物という印象でしょうか。

 何れにせよ、同地点の奪取によって日本は旅順港に停泊するロシア艦隊へ砲撃が可能となり、港湾に身を隠して戦力を温存していた旅順艦隊を壊滅に追いやり、後顧の憂いを絶つことに成功しました。

 その結果、バルチック艦隊に対する為の十二分な余力と準備期間を獲得し、今も戦史に残る圧勝を日本海海戦で得たのです。

 それが日露戦争の勝利に繋がるわけですから、203高地に同族が興味を示さない事に嘆く朝鮮日報の言い分も分からないではありませんが、ここまで流れを理解していながら尚も『韓日強制併合』なんぞと言い張る当たりがやはり朝鮮人の限界点なんでしょうね

 そもそも日本が本当に欧米諸国のような植民地支配をするつもりだったなら、日清戦争に勝利した1895年の下関条約の段階で朝鮮の独立ではなく、割譲を要求していたと思いませんか?

 この条約によって朝鮮は愚かにも大韓帝国と国名を変えて皇帝を僭称するようになるわけですが、実際の国情は何ら変わっていない事は他ならぬ朝鮮日報が引用しているイザベラ・ビショップの弁のとおりで、小中華思想そのままに賄賂政治が罷り通り続け、マッケンジーが聞いたように日露が朝鮮の未来を巡ってもはや矛を交わらせる寸前の状態にまで至っていても米国だの欧州だのが守ってくれるだろうと何の論拠も無い楽観論を政府高官が言い放っていたわけです。

 独立へと導いた日本を敵視し、自国を併呑しようと目論むロシアを招き入れて日本を追い出そうと策動し、戦争前夜の状態でも傍にいもしない欧米が守ってくれるさと楽観論をぶちまける。

 日露戦争に勝利した日本がこのような愚昧な国に見切りをつけ、自国の安全保障の為に同盟関係から併合へと舵きりをしていったのは至極当然だと思いませんか?

 日露戦争の勝利が1905年であり、朝鮮が日本の勝利で清国より独立して丁度10年、併合が更にその5年後ですから…状況的にも期間的にも十二分な考慮をした結果だと私は思います。

 セオドア・ルーズヴェルトが述べるように、自身の力で独立を維持しようと努力すらしない輩が生き残れるほど当時は甘い時代ではなく、日露戦争の勝利から見ても5年もの時間があったのに、自国を改善しようとせず、それどころか最終的に独立ではなく日本の一部となる事を自ら選んでおきながら強制だのと言う事自体愚かしい限りです

 おまけに、韓日強制併合じゃ、頭が韓国になっているんだから韓国による強制に見えるんですが、強制だのとヒステリックに騒ぐ割にそういう文字の主従は気にしないんですよねぇ。

 そういう無神経で感情的なだけのところが他人から白い目で見られるんだと分からないんですから。

 李容翊が日露が火花を散らしている状況で、何ら半島に対して影響力を持たないアメリカや欧州の力で自国の独立が保てるなどと丸っきり見当違いの楽観をしていたように、何時までもこの民族は現実と向き合うのがドヘタなままのようですね。
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