14日付けのYOMIURI ONLINEの記事から
| 「4人殺害と同等の判決を」長久手籠城、殉職警官の父が手記 |
愛知県長久手町で2007年5月、警察官を含む4人が死傷した籠城(ろうじょう)・発砲事件で、殺人罪などに問われた元暴力団員大林久人被告(52)の判決公判前に、死亡した県警SAT隊員林一歩警部(当時23歳)の父・千代和さん(53)が14日、報道機関に手記を公表した。
手記の全文は以下の通り。
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第1回の公判が始まり約7か月間続いた長く辛い公判も10月に論告求刑があり、昨年の5月17日、あの事件から1年7か月となる12月17日の判決の日が近づいてきました。
私たち遺族が意見陳述で述べた極刑である「死刑」が求刑され、被告には自分が起こした事件がいかに凶悪であり重大な事件であったか、罪の重さを認識し深く反省してほしいと思います。
「死刑制度」が論議されている中での今回の求刑ですが被告に対する気持ちは私達遺族しか分かり得ない部分があると思います。
一般の市民生活にあってはならない拳銃を持ち出し、事件現場に駆け付けた警察官に発砲、その警察官は重傷を負い、更に被告は負傷をした警察官の救出に向かった息子にまでも照準を合わせ発砲し息子を殺害しました。
親としてあってはならない自分の子供までにも発砲し重傷を与えた凶悪な事件でありました。
意見陳述でも述べましたが銃を持つことが既に「殺人目的」であり、発砲すれば「殺人行為」にあたり被告の起こした犯罪は十分に「死刑」に匹敵すると思っています。
被告は4人を殺害した殺人犯と同等の判決を受け罪を償うべきと思っています。
治安を守る警察官に発砲するなど絶対あってはならない、銃犯罪抑制のためにも二度と同様な事件が発生しないよう厳罰をもって罰せられ、市民生活の安全が保たれることを望みます。
間もなく判決の日を迎えます。
あの凶悪な事件をもう一度思い出して頂き「事件の凶悪さ」「拳銃の犯罪」「再発防止」「命の大切さ」などについて考える機会として頂きたいと思います。
月日が経っても「一歩」を失った悲しみは癒えることはありません。
悔いの無い判決が下されることを願っています。
林 千代和
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判決は名古屋地裁で言い渡される。争点は殺意と責任能力の有無で、検察側は「治安や法秩序を蹂躙(じゅうりん)するテロ行為。殺害被害者は1人だが、至近距離から撃たれた3人も死亡する危険性があった」として死刑を求刑。弁護側は「殺意はなく、極刑は重すぎる」として、死刑を回避するよう求めている。 |
| (2008年12月14日22時55分 読売新聞) |
「被告は殺意の欠片も持たずに次々と人に向けて発砲し、4人も死傷させることが出来た」弁護士の弁護内容が事実であるならばこんなトンでもない異常者であると犯人はなるわけで、むしろその方が余程その存在は社会にとって脅威極まりないものでしょう。
ましてや
50を超えた大の大人で、しかも子持ちの親でありながらそのような分別すら持てずに自らの子を含む何人もの人を銃を使って死傷させたというのであれば更生など尚の事不可能であり、厳罰を持って処するのが妥当だと思うのですがねぇ?
殺された警官の両親の心中はまさに察するに余りあるものでしょう。
被害者遺族としては、当然ながら加害者には厳罰を持って罪に報いさせる事を望むものです。
死刑反対派などと言うのは基本的に
死刑制度の意義だけでなく、そういった被害者の感情なども理解出来ないからこそ偽善的な正義を騙って憚らぬ輩に過ぎません。
その証拠とも言うべき話が先日読売の朝刊1面に掲載されました。
それはオウムによって殺害された坂本弁護士一家の遺族の話(殺害された妻、都子さんの父)です。
この御仁、
元々「人命は地球より重い」って某発言を大事にし、娘にも教えていたなどと言う典型的な死刑反対派だったのですが、自身の娘や孫らがオウムによって殺された現在は
「私の心情としては、1回には殺したくないという気持です。死刑台に載せては下ろし、載せては下ろし、何日もやってもらいたいです。都子の分、堤の分、そして龍彦の分をやってやりたいです。」などと述べて考えを翻しているそうです。
人の死を望んだり、喜んだりしているわけではない、でも、己や死んだ家族の無念を思うと…記事を目にした時、
その思いに何故最初から至らず、自分の欺瞞に満ちた正義感、偽善心に酔いしれていたのか、そして自分が被害者の立場になった途端それかよと、正直失礼ながら私は同情するより先に呆れてしまいました。
ですがまぁ、人間とは得てして鈍感なもので、病気にならねば病人の感情や辛さは理解出来ないし、怪我をせねばその痛み、苦しみを理解できずに軽率な言葉を吐いて人を傷付けてしまうものです。
「その程度で…」「そんなもの大した事無い」などの言葉を中には無神経に、ろくにそれがどういったものであるかを知りもしないままに他人に言ってしまったことがある人もいるのではないでしょうか?
死刑というモノもそうだと私は思います。
殺人犯に自身の犯した罪を罰として与える、再犯を防止する、そういった側面と共に被害者やその遺族に対する報復を防止し、かつ安心と安全を社会に与えるというのは重要な意味があります。
他人の心中を察せず、己の詭弁だけを押し付けて愉悦に浸るなど言語道断です。
まぁ、死刑反対派の場合は有名どころのメンツを見てもそういう
他人への理解など欠片も出来ぬ輩ばかりである事が窺えますが…
例えば、議員による死刑廃止議連などがその代表で、代表の亀井静香を筆頭に北の犬である加藤紘一や社民党の福島瑞穂などなど。
偽善と無理解、これに凝り固まった人間ほど対処に負えないものはありませんね。